テレビとの付き合い方

「見たかね。」
「何を。」
「テレビだよ。この前の台風の被害(ひがい)があんなにひどいことになっていたとは思わなかったよ。①『百聞は一見にしかず』だね。特に○○テレビの映像は迫力があったな。」
「なんかわけもなく涙(なみだ)が出てくるよね。」
「大変だなあと思ったけど、涙までは出てこなかったな。」
「テレビではそうなのかな。おじさんの家があるんで父と行ったんだけど、現地の惨状(さんじょう)を見たらなんとも言えない気持ちになって、目頭が熱くなったよ。父もそうだった。」
「百聞は一見にしかず」とテレビに確信を持っていた②テレビ派は黙(だま)ってしまった。テレビで見ることと体験することに、そんなに段差があるとは思ってもいなかったようだ。体験派からは、テレビ派の「迫力があった」などという、被害の状況(じょうきょう)を単なる映像としてとらえるような発言は間違(まちが)っても出てこない。人それぞれで受け止め方の違いはあるが、テレビ派が災害のテレビ報道を見ても、体験派のような「涙が出てくる」気持ちが起こりにくいのはなぜだろう。そして今、体験派の話にはっと胸を打たれ、③その気持ちが分かるような気がするのはなぜだろう。深い難しい問題を投げかけている。
 
(佐藤二雄:さとうつぎお 「テレビとのつきあい方」より)
 
 
(1)下線①「『百聞は一見にしかず』だね。」と言ったとき、筆者は、テレビ派が実際にはどのような見方をしていたのだと判断していますか。次の言葉に続くように文章中から抜き出しなさい。
 (                   )見方。
 
(2)下線②について、「テレビ派」が「黙ってしまった」のはなぜですか。適切なものを、次の中から選びなさい。
 ア 体験派がすぐ涙を流すことに偽善を感じて腹を立てている。
 イ 人に同情できない自分の冷たさに気づいてがく然としている。
 ウ テレビを見るのと体験するのとの違いを見せつけられてはっとしている。
 エ テレビの画面は現実の体験よりも迫力不足であることを悔しく思っている。
 
(3)下線③「その気持ち」とはどんな気持ちですか。文章中から抜き出しなさい。
 
(4)体験派とテレビ派の一番の違いを、文章中の言葉を使って簡潔に答えなさい。